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=随想=『作品批評について』
会員:増 田 陽 一
古い話になるけれども、僕が「武蔵野美術]という学校に居た時、週に一回、教授が来て生徒の習作を講評してくれる時間があった。あるとき、一人の学生の絵をめぐって教授の山口長男と森芳雄の両先生が論争を始めたのである。森先生はその学生の感覚の良さを認めて、「個性を失わずこのまま発展させよ」、と言い、山口先生は、「この絵は基礎が出来ていなくて存在感が無い。素描からやり直せ」、と強硬に言って、両先生とも互いに譲らなかったと記憶する。当の作者は困惑したに違いない。僕は聞いていて、この程度の作品を前にして二人の大家が真剣に論争するのだなあ、と感勤した覚えがある。
別の話だが、或る美術研究所に居たとき、僕も画架を並べていた一人の画学生が居て、彼は石膏デッサンが上手で寺内万次郎先生から「完璧」と賞され、上野の試験にも一度で合格した。林教室に入ったが、林武教授から「君は絵描きになったほうがいいかどうか、もう一度考え直したまえ。」と言われたそうで、その後退学して絵を止めてしまった。彼は人柄も善良で、絵は上手だった筈だけれども、指導者と資質が合わず、またあまりに素直すぎるとこういうことになる。誰のために絵を始めたのか?
以上のような例は、その作家自身の思想が判って興味深い。佐伯祐三が渡仏してヴラマンクに絵を見てもらい「academique !」と一喝されて悟った、と言う伝説は、優れた作家同士の幸運な例であろう。受け取る側の問題である。
僕は高校を出てから、大阪市立美術館の地下にある研究所で初歩の素描をしたが、敗戦直後の混乱期だったから指導者には当時の関西画壇の重鎖たちが来ていた。その先生方の批評を今も記憶して居る。
赤松鱗作先生は、もう老齢だったが、何時も我々と一緒にモデルを写生していた。掌くらいの大きさのカンバスの切れ端を持ってこられて、油彩でクロッキーのように描かれていた。学生の絵の批評には、
「もっと一色(ひといろ)に描きなさい。」
「描かないように描かないように描きなさい。」
などと大阪弁で特徴のある表現をされた。禅問答のようだが、絵の調子のことを言っている。「あの先生に『夜汽車』の事を言うと喜ぶぞ。」と先輩が言った。『夜汽車』は昔の美術全集に載っている赤松鱗作の代表作である。
須田国太郎先生は学者風の温厚な風貌であり、石膏デッサンをみて貰うと、「石膏像を石の塊のように明暗だけで見てはいけない。例えばこれはヴィーナスであり、ギリシャ神話の美の女神だから、その精神性を表現すべきである。それには細部が重要で、眼の上の目蓋の幅と、限の下の目蓋の厚みとの違いに注意せよ。」と言う具合だった。優れた作家は初歩の批評にも自己を語る。
小磯良平先生は、僕が裸婦の木炭デッサンに苦労している時、「木炭の明暗で描こうとせずに徹底的に『線を練る』べきだ。線が出来れば、木炭で汚れた布でさっと拭くだけで裸婦の調子は出来る]「裸婦の脚の形は、3箇所位の点を紙の上に見定めておいて、一気に線を引きなさい」と言って、脚の一本を描いてくれた。尤もこれは、彼でなくては出来ない芸当であろう。
作品批評というものは、作者を勇気付け、進歩に有効な講評をしようなどとは、おこがましい事である。 作家は自己の限界内で率直に言うが良い。 (千葉県流山市在往)