国画会版画部の歩み
母体である国画創作協会の解散(1928年)に伴い洋画部門が「国画会」として独立、日本の美術団体として初めて国画会の中に版画室が設けられた事は美術団体史における画期的な事である。梅原龍三郎の信頼厚くこの年より平塚運一が前田政雄とともに国画会事務局を委任され、国画会事務局の礎をつくった。平塚は精力的に版画の啓蒙に勤め終戦時の部員は〔川西英・平塚運一・棟方志功・下澤木鉢郎・恩地孝四郎・栗山茂・畦地梅太郎・前田政雄・上野誠・橋本興家・関野準一郎・斉藤清・山口源・笹島喜平・品川工〕他であった。
『国画会の版画』と言われ我国を代表する木版作家主体の木版画の牙城を築くも……戦後の美術界にも大きなうねりが生まれ、銅板・石版・等を試みる作家が現れ〔川上澄夫・稲垣知雄・伊藤勉黄・星襄一・岩見礼花・天野邦弘・熊谷吾良・金守世士夫・川西裕三郎・佐藤宏・鈴木幹二・日下賢二・黒崎彰・平山美智子・高橋新一〕他、多くの作家が誕生し、現在の版画部の礎となった。
◆国展本展の作品を見る機会の少ない地方の方々に本展のままの作品をみて頂こうと……1992年盛岡展・2001年信州上田展・2003年札幌展・2006年沖縄展・2012年小諸高原美術館展も開催し、版画愛好者に大好評をいただいた。
…………平塚運一の遺した一文…………
『啄木鳥にあやかって…コツコツと…木を突っついて…ノミの音………』
国画会版画部の作家は、大地にしっかりと足を付け「コツコツ」と謙虚に制作に励んでいる作家が多く、現代的あらゆる技法も共存し、発表の場も国内にとどまらず広く世界に求め、国際展やコンクール展等で受賞、入選、収蔵される作家も多く、近年は特に新人に広く門戸を開き、育成に勤めている。(詳細はサイドメニューの版画部歴史よりご覧頂けます)
版画部事務所 白鳥 勲