第15回 栄光のOB 張替正次
第15回 張替正次
活躍した嘗ての会員OBを思う・・・
張替正次 HARIKAE Shoji 1914-2003
【魂の画家】張替正次先生のこと
絵画部会員 安富信也
張替先生は1914年(大正3年)東京深川森下町に生まれ、本名は(はりかえ・まさつぐ)「しょうじはりかえ」みたいで、面白いと雅号にしたそうです。幼いころからカブスカウト・ボーイスカウトに入り、登山や山スキーに熱心でした。20歳の時に谷中に下宿して額縁業に従事し、その頃歌人の宮柊三と同居していました。24歳の時に鳥海青児に師事、26歳の時に太平洋美術学校で学び、33歳で国展初入選。39歳で絵画部会友(準会員)になられました。
画家としては遅い出発でしたが、その後が凄い!まっしぐらに華々しく活躍されています。絵画だけにとどまらずに、版画・陶芸にも力強い造形力を発揮されています。40歳の時に第一回個展を開催してから、20年間ほとんど毎年のように連続的に個展をされています。45歳で絵画部会員に推挙され、49歳で絵画部会務委員になられてからは、会の運営にもその手腕を十分に発揮されて、また多くの後輩たちを育てています。また49歳で版画部にも出品されて、50歳の時には版画部国画賞も受賞されて、52歳で版画部会員にも推挙されています。
張替先生は9歳の時に関東大震災に遭遇し、自の前で多くの人々が水死した中で、ただ一人九死に一生を得た経験を長い間持ち続け、その空虚な穴を絵画制作によって埋めて行く場にしたい!そして、その時の建造物が炎上していた情景、炎の何とも言えない強烈な不気味な美しさに魅せられた記憶を持ち続けていた事が重なって、絵画への道を歩まれたと語っていました。
私が国展に出品して2年目に初めての個展を銀座の画廊で開催した時に、張替先生が他の個展の流れで観に来て下さいました。私が国展に出品を決めたのは恩師の土田文雄先生と和田忠志先生、福井敬一先生の知遇を得ていたからで、当時張替先生の事はあまり存じ上げていませんでしたが、それでも作品を丹念に観て下さり
「いいよ!これ!きみ国展に出したら!」「??もう出しています」
初対面の会話で、強い印象で今でもはっきり記憶しています。張替先生51歳、私が28歳の秋でした。 この事がきっかけで親しく交流していただきました。常に圧倒的な前向き姿勢で接してくださるので、怖さも感じていましたが、制作態度にはとても魅力を感じていました。筆で描くと言うよりか、身体全身で、魂で、キャンバスと格闘していく姿勢に感動していました。それでも、本絵に移る前には沢山のエスキースを試みていて、ご自宅で分厚く重ねた凄い枚数の下絵を見せて下さいました。後日国画会75 周年記念「わたしの世界」の講演のお手伝いをしたら、その下絵を私に記念として数枚くださいました。現在私のアトリエに飾ってあります。
また国展の開催準備期間になると、下働きが終わる夕刻になると、上野の美術館の裏手から徒歩で行ける谷中のご自宅に毎日のように植月正紀さんなどの友人数人で押しかけて、奥様手料理のご馳走とお酒を頂き大騒ぎして、随分とご迷惑をおかけしました。 今から50年〜40年ぐらい以前の文字通り「古き良き時代」の超楽しい思い出がいっぱいあります。 私や植月さんには結構厳しい面も時々ありましたが、直弟子の高松勝治さんにはとても優しく細かく絵画技法を指導されていたようです。ご一緒にカラオケに何度も行き、その時でも絵画技法の指導をされていた様子でした。 豪放磊落の反面とてもお優しい方で、仮にもう一度お会いできたらとしたら・・全ての面でご指導を仰ぎたい方です。
第94回国展は新型コロナウイルス感染拡大防止の為に中止になってしまいましたが・・・ この文章を書くに当たり、娘さんの星朝世さんと連絡を取る事が出来、画歴などを送って頂き、懐かしさでいっぱいです。またこの時期に「コロナ襲来j に負けない常に前向きな姿勢を亡き張替先生を通して再び与えられました。感謝です!
張替正次 画歴
1914年(大正3年)東京深川生まれ
1938年 24歳 鳥海青児に師事
1940年 26歳 太平洋美術研究所に学ぶ
1947年 33歳 国画会絵画部に「衣」 初入選、(以後連続入選)・新しき村美術会員になる
読売新聞主催新興美術展入選
1949年 35歳 第一回読売アンデパンダン展出品(以後毎年出品)
林 武、小林和作、須田国太郎の指導を受ける
1950年 36歳 毎日新聞主催美術展に招待出品
1953年 39歳 国画会絵画部新会友推挙(現準会員)・国画三季会同人展出品(白木屋)
1954年 40歳 第一回個展(新橋美松屋)社会風刺の「鳥」 シリーズ
1956年 42歳 第二回個展(新橋美松屋) 「抽象画」
1958年 44歳 板画院展に版画入選
1959年 45歳 国画会絵画部新会員推挙
1960年 46歳 第三回個展(文春画廊)
チャールズ・イー・タトル版画コンテスト入選(作品米国内巡回)
1961年 47歳 第四回個展(文春画廊)
1962年 48歳 第五回個展(文春画廊)
1963年 49歳 第六回個展(文春画廊)・版画第一回個展(文春画廊)
国画会絵画部会務委員・国画会版画部初入選
1964年 50歳 第七回個展(文春画廊)・第二回版画個展(養清堂画廊)
国画会版画部国画賞受賞・江川和彦の勧めで第三問販画個展(新宿風月堂)
1965年 51歳 第八回個展(文春画廊)・第四回版画個展(養清堂画廊)
フランネル画廊と「みどりの画家」 として契約
1966年 52歳 第九回個展(文春画廊)・第五回版画個展(京都丸物百貨店)
国画会瓶画部新会員推挙
1967年 53歳 第十回個展(文春画廊)・スエーデン油絵巡回30人展・ヨーロッパ外遊
1968年 54歳 第十一回個展(文春画廊)新潟県立美術館にて個展
1969年 55歳 第十二回個展(文春画廊)・名古屋おいせ画廊主催個展・長崎美術館買上
第一回陶芸展を難波田龍起他五人(銀座松坂屋)
1970年 56歳 第十三回個展(文春画廊)・白水社画廊(大阪)個展
大和デパート(新潟)個展・陶芸六人展(銀座松坂屋)
ロックフェラー財団3点購入
1971年 57歳 藤美画廊主催個展(大阪)・第三回陶芸六人展(新宿三越)
茨城県立秀作美術展招待出品・大阪阪急百貨店主催三人展
シカゴ市ウィルソン社ドクター・ハイヤー氏作品買い上げ
1972年 58歳 第二回阪急百貨店主催三人展・名古屋はくぜん画廊主催個展
新潟イチムラ百貨店主催個展・セントラル美術館主催国画会版画展
いばらぎ新聞社買上
1973年 59歳 第十四回個展(銀座柳屋画廊)・静岡フジテレビ作品買上
1974年 60歳 フジテレビ「テレビ美術館ミュージックギャラリー」作品放映
第三回大阪販急百貨店主催三人展・東ドイツ版画展・スベイン外遊
1975年 61歳 藤吉画廊企画個展
1976年 62歳 茨城県秀作美術展招待出品
1978年 64歳 栃木県立美術館「烏の歌」買上収蔵・長岡観光ギャラリー企画展
銀座タケミヤ画廊企画個展・東邦画廊企画個展
1980年 66歳 紺綬褒章(栃木美術館を通して)・東邦画廊企画個展
国展出品作「えぐる」 朝日ジャーナル誌掲載・苫小牧紀江画廊企画個展
1981年 67歳 ひろがね画廊企画個展・銀座タケミヤ画廊企画個展
難波田龍起他と第四回陶芸展(第七画廊)・版画集「第一集」 限定100部
出版
1982年 68歳 高知市リフロード服部美術企画展・版画集「第二集」限定100部出版
1983年 69歳 国展出品作「ささえる」 信濃新聞カラー掲載・みたけ画廊企画個展
1984年 70歳 版画集「第三集」限定100部出版・東邦画廊企画版画展
大阪平松画廊版画企画展・茨城県立美術館現代美術展招待出品
1985年 71歳 大沢昌介・難波田龍起・村井正誠・張替正次四人展(芸術遊戯ギャラリー)
銀座タケミヤ画廊企画個展
1987年 73歳 銀座煉瓦画廊一か月間企画個展・栃木県美術展委員長
「はねる」 130号栃木県立美術館収蔵・陶画グループ展(銀座煉瓦画廊)
1988年 74歳 茨城県立美術館開館記念招待出品150号「ふくらす」
倉吉市奥村氏150号「舞衣」 収蔵・銀座煉瓦画廊大沢昌介他六人展
1989年 75歳 町田国際版画美術館収蔵
1993年 79歳 銀座イトーキ画廊企画個展・奈良元興寺10メートル作品展示、収蔵
1994年 80歳 アートフォーラム谷中企画個展
1998年 84歳 アートフォーラム谷中企画個展・多治見商工会議所収蔵・文化会館、
書道美術館収蔵・国画会「私の世界」講演
1999年 85歳 銀座ムサシギャラリー企画個展
2001年 86歳 第75回記念国展「私の世界」15点を特別出品、同15点を信州高速美術館
収蔵
2002年 87歳 信州高遠美術館で45日間の企画展・紺綬褒章
2003年 88歳 永眠
2004年 銀座東邦画廊企画展
2005年 信州高速美術館収蔵・栃木県立美術館収蔵
2015年 新潟市新津美術館収蔵
2018年 スペイン・ソリヤ「現代画オリエンタル」展出品
2022/07/07 絵画部・栄光のOB|