国画会が運営する日本最大級の公募展。

絵画部 会員インタビュー

第13回 東海  2014

北海道~沖縄までの会員・準会員のインタビューとご紹介

 

「東海地区の国画会絵画部」

「東海地区の国画会絵画部」 東海地区は、愛知、三重、岐阜、静岡(大井川以西)の方が出品しています。以前は、金沢の方も出品していました。 毎年、愛知県美術館、又は名古屋市博物館で、春には国展名古屋展(巡回展)を開催し、秋には中部国展を開催し ています。国展名古屋展は、第29回展から巡回が始まり、当初は、旧愛知県美術館の広さに対し、当地区の出品者が少なかった為、春陽会との連合開催でした(第32回展まで) 第33回展からは単独で開催しています。 初期の名古屋展は、杉本健吉先生のご尽力により、東海地区の出品者を増やされ、又、地元企業にも協力を得、第34回展から第38回展まで、表紙絵入り(広告満載の)名古屋展目録が作成されました。 名古屋展目録には、東海地区出品者全員の作品写真を掲載、無料で配布していました。

当時は会員数も少なく、ましてパソコンなども無い時代、事務作業を含め会の運営は色々と大変だったと思います。 40回記念国展名古屋展では、パネル10枚で国展の歴史を紹介し、各出品者の初出品の年を記しました。記念展には、梅原龍三郎先生の作品も巡回展示され、杉本健吉先生が、毎日、美術館の金庫に預けていたそうです。絵画部に限っていえば、40回展までの会員には、杉本健吉、音部幸司、大清水暎子、岩田和子、島田章三、島田鮎子、佐々木豊 各先生がおられ、会友(現準会員)には、吉兼三丸、鈴木坂治、花井八郎、石原忠幸、野村正夫、祖父江弘幸各先生がおられました。加賀美勣先生が40周年記念賞、国画賞を受賞されています。半世紀を過ぎた現在、亡くなられたり、退会された方もいますが、現在、絵画部の会員数は18名、準会員は11名、一般出品者も増えてきました。

 

中部国展は、東海地区の新人発掘の為、1962年7月23日から30日まで第1回展が旧愛知県美術館で開催されました。鑑査には、杉本健吉先生の盟友でもあった関西の須田剋太先生が駆けつけ、参加されたこともあります。絵画部、版画部、工芸部、写真部四部での出発で、第3回展からは彫刻部も出来ました。名古屋展(巡回展)同様、当時は出品者が少なかったので、会場の半分を利用し、新人展、九人展も開催されました。 2012年には、第50回記念展が愛知県美術館で開催され、ポスターは、島田章三会員に作画をお願いし、中部国展 を紹介するチラシも作成しました。又、記念展企画として、ポスター画を使用したポストカードを来場者全員に進呈しました。懇親会には、会務委員、事務局、各部事務所、支部事務所の方を始め、地元関係者の方々にも大勢参加して頂き、記念展にふさわしい盛会となりました。2014年第52回中部国展も盛会の内に無事終了しました。 今後も地方支部展の先駆けとして東海地区の美術振興に努めていきます。

私事になりますが、1969年愛知県立芸術大学3年生の秋、故・加賀美勣先生から「川井君、中部国展に出してみないか・・・」と薦めて頂きました。ちょうど諸々のことに悩んでいた私を見抜いた先生のご配慮であったのでしょう。その年の秋、第7回中部国展に初出品し、新人賞を頂きました。当時は、絵画部のみならず他の部も出品数が多くなく、作品もいまよりずっと小さかったように思います。その後、第44回国展から本展に出品しました。国展は病気のため、中部国展は琉球大学に国内留学したため、それぞれ一度だけ不出品です。いずれにしても年月の過ぎる早さに驚いています。最近は、若い方の出品が乏しいのが現状で、将来を危惧しているのは私だけではないでしょう。かといって、若いから何でも良いというわけにもいきません。つくづく団体展の難しさを痛感しています。

(絵画部会員 川井一義 / 文責 絵画部会員 東方達志)

     2020/06/06  絵画部・会員インタビュー


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