国画会が運営する日本最大級の公募展。

絵画部 会員インタビュー

第16回 島根・鳥取  2018.11

北海道~沖縄までの会員・準会員のインタビューとご紹介

 

「国画会島根グループ」

 国画会の先達として島根ゆかりの作家には、小泉 清(絵画)、平塚運一(版)、河井寛次郎 (工)、舩木道忠(工)が並ぶ。どちらかと言えば、官展系団体のイメージが強い島根にあっても、先達作家としてこれだけの逸材を輩出している。
 そういう環境や状況の中で島根グループ展の始まりは 1983 年第 57 回国展会期中、東京 都美術館にて平塚運一(版)、中島宜矩、石橋幸雄、日野原克磨、槇原郁朗が中心に出品者も 集い、グループを立ち上げたいという熱気が発足に繋がっていった。その背景には東京で活 躍している喜多村知会員(県出身)の存在があったが、同時に平塚、喜多村とも親交のあった井上善教の存在が極めて大きい。しかし、井上は発足を待たずに 1977 年に没した。
第 1 回展は 1990 年、絵画部と版画部の出品者 14 名で県立博物館にて開催された。出品 者の多くは島根大学で指導に当たっていた井上善教教室の潮流であった。

 その後会場は 12 回展より県立美術館に移ったが、本展出品を目指し研鑽を重ねる度に充 実の内容となり、大作に立ち向かうメンバーの姿勢が報道機関に毎年取り上げられるようになった。1996 年「絵画部スケッチ旅行」では松江市を写生地として絵画部の仲間が全国 各地より訪れて一気に交流が深まる。そして 2006 年 80 回国展ではキャンペーン「国展を 歩く」にグループとして初めて銀座の画廊に参加し、続く 2008 年グループの第 20 回記念 展では関西国展から7会員を招待して研鑽し、記念冊子も発行するなど、以降毎年のように関西支部から会員を招き勉強に怠りはない。また近年は大作発表と同時にドローイング を併陳し、アートの根底にある部分を来館者に見てもらう事で思考や表現の過程を披露し て好評である。当初から部門としては絵画と版画であったが、諸事情により現在は絵画部の みとなっている。
本年は第 30 回記念展を迎えた。

 記念企画としては1全員によるギャラリートーク 2共同制作の二つ。グループ展始まって以来の公開のギャラリートークでは作品について来館者に「見える」形でトークをし、また共同制作ではグループを二分してそれぞれのテーマに添いミーティングを重ねて、横幅2m 超の労作2点を発表した。これは個人の作品展示とは別の新しい選択の一つとして評価さ れるべきものと思う。
 しかしながら、島根グループ展は大きな悩みを二つ抱えている。それは高齢化と会員不在の問題である。高齢化はどんな集合体にも押し寄せる課題ではあるが、現在メンバーがそれぞれの地域や領域において少しでも裾野を拡げるべく日常活動を起点に発信を厭わない。 後者については、和崎会員が居住地の関係から隣接の広島国展に所属しているため、グループ内会員が県内不在となり、中心は槇原郁朗準会員を中心にした協力体制となっている。そのため大阪在住ではあるものの同県出身の私が本展や関西国展の様子を通して、コミュニケーションを図っているのが現状である。それは、私が発起者である井上善教先生の勧めで 初出品したのが国展というのも、こうした務めは当然かもしれない。現メンバーは現状から察するに、制作と発表に関しては大変な熱意と努力を続けていて、その姿勢には敬意を抱く 一方、世代の継続と若返りのための更なる対策が急務となっている。

 

「国展・とっとりの会」

 鳥取県では「国展・とっとりの会」が 2009 年 8 月とりぎん文化会館にて、石谷孝二(彫・ 員)、山下 健(工・員)により発起され、第 1 回展を旗揚げした。絵画部・版画部・彫刻部・ 工芸部・写真部の 5 部構成。当時、表敬訪問した会場には国画会の概略を紹介するパネルが 展示され、そして鳥取在住の各部の作家による作品群が披露されていた。また同時に、鳥取 県ゆかりの作家である福留章太・野崎信次郎・橋本興家・岡村吉右衛門・生田和孝・杵島 隆 の作品も展示されていて第 1 回展に相応しい内容は、発起人やメンバーの意気込みとして 会場に満ちあふれていて壮観であった。
 本年は 6 月、第 5 回展を米子市美術館にて開催した。
絵画部は県内 3 名のうち、足立純子準会員が中心であるが、会員が不在である事と、出品者の拡大が課題でもある。それを補う意味もあって、県外から同県出身の太田垣匡男・中村宗男の両会員がそのパイプ役を務めているのが現状である。

2018/11 絵画部会員 多納三勢

     2020/06/01  絵画部・会員インタビュー


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