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追悼 川西祐三郎先生のこと
会員 前田政晴
一昨年12月5日、販面部事務所の白鳥さんから川西先生が亡くなられたとの電話があり関西支部事務所と販両部会員に連絡、12月8日通夜、9日告別式には関西版部でお世話になった人だちと共にお見送りしました。
僕が川西先生の存在を知ったのは学生の頃で、お父様である川西英先生による版画の集中講義があり、兵庫区のご自宅へ伺いましたが、英先生が講義の途中「これが息子の版木です』とおっしやって版木を見せてくださったのです。 1964年のことで、翌年2月英先生はご逝去されました。その後、僕が祐三郎先生に初めてお目にかかったのは英先生の後を受けて集中講義にこられた時で、僕が国展に出品し始めた頃でした。
川西祐三郎 60×45cm 2013
祐三郎先生は昭和18年国展に初出品、21年褒賞、23年国画会奨学賞を受け昭和24年に今の準会員に当たる会友に推挙されましたが、昭和46年会員になられるまで実に23年を要しました。これは、作風からお父様である英先生の存在が大きすぎ、当時審査員から祐三郎先生の独自性をなかなか認めてもらえなかったと推測されます。
祐三郎先生のかねてからの希望は電車を運転することで、大学卒業後阪神電鉄に入社され車掌から出発されたそうです。その後阪神百貨店に移られ、販売促進部や営業部に所属されました。その同会社では版画制作をされていることは誰にも話さず、秘密にされていたようです。帰宅後8時から12時まで毎日制作することを習慣づけていると伺ったことがあります。一旦公になったあとは阪神百貨店での展覧会を始め、東京での個展や神戸市の依頼による仕事を多くこなされ、その業績は改めて申し上げるまでもなく、皇太子殿下が神戸に来られた時神戸市からのお土産に先生の版画が献上されたということも後に伺いました。
88歳になられる年に間西国展版画部のメンバーでささやかなお祝いをしましたが、8歳で英先生に手ほどきを受けてから版画制作に携わって80年の年でもありました。
普段の規則正しい生活の中で、余り知られていない趣味は電車の模型作りです。すべて紙を用いて、小さな部品もすべてご自分で縮尺寸分違わず作られていました。話には同いておりましたが、先日中西さんと遺作展示の作品をお借りに伺った時応接間に飾っておられるのを初めて拝見しました。
ご自分の版画制作は、英先生の生涯作品1,200点余を超ることを目標に、年齢を重ねても衰えることなく、亡くなられる数年前にそれを達成されました。 2010年にご自分の作品883点を神戸市立博物館に寄贈され博物館主催で大々的な回顧展が聞かれました。
また制作活動以外でも、神戸市や兵庫県下あるいは大阪市内でも版画講座や年賀状講座の講師を勤められ木版画普及に努められました。国展にも多くの作家を送り込まれたことはご存知の通りです。
普段は穏やかな先生も頑固一徹な面があり、亡くなられる2年前に体調を崩され入院、その後高齢者施設に入られてからは版画に関することを一切断ってしまわれました。
国展・日本版画協会を退かれることはもちろん制作からも離れ、仕事場に戻られることは全くなく、施設での至れり尽くせりの穏やかな日々を楽しむように過ごされたようです。
80年間の制作活動と穏やかな一年余りの生活は、とてもいい人生ではなかったかと憧れを感じます。川西祐三郎先生のご冥福を皆さんとともにお祈りしたいと思います。 (奈良県桜井市在住)