第1回 梅原龍三郎 | 第2回 宇治山哲平 | 第3回 香月 泰男 | 第4回 小牧源太郎 | 第5回 須田 剋太 | 第6回 伊藤 廉 |
第7回 松田 正平 | 第8回 川口 軌外 | 第9回 里見勝蔵 | 第10回 庫田 叕 | 第11回 宮 芳平 | 第12回 久保 守 |
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梅原先生の思い出毎年、年賀に梅原先生宅にうかがった。親父のお供である。来訪者も幅広く、 なかでも先生の好きな将棋の棋士が来て将棋ををすることになる。 プロアマの違いで手合いは二枚落、賞品として先生の作品がお年玉である。勿論プロの棋士が持って行く。ここが先生の気づかいである。正月の酒はウイスキー、中華料理が 並ぶ。酒はガブ々たばこはスパ々好きな様にする。今はテレビ、新聞など医学知 識で、あれが体に良い悪いと云すぎている様な気がする。 美校の教室で作品を見てもらう時によく云われた事は、おさえ込まないで引り 出せと云われた。一流のものを見、うまいものを食べ、生き々と仕事をする様な 教えであった。 東京が焼野原になって、戦争が終わった。幸いな事に我家は吉祥寺に住んでい たので戦災をまぬがれた。そのために国展の事務局をしていた。ほんの1、2年だ ったと思う。大型の皮のトランクと毛布のような旗が置いてあるのを見た事をお ぼえている。事務は版画の前田さんと絵の田中通久さんが手伝いに来ていた。 (文、宮田晨哉 絵画部会員) |
118.7×92cm、1953年 東京国立近代美術館蔵 |
1888年 京都市にうまれる。
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1940年 | 「三十三間堂」 | 紙・水彩 | 32.4×51cm | 京都国立近代美術館蔵 |
1906年 | 「洛北八瀬の秋」 | 板・油彩 | 23.5×33 | 京都国立近代美術館蔵 |
1908年 | 「自画像」 | 板・油彩 | 23.5×17.3 | 東京国立近代美術館蔵 |
1908年 | 「パリの雪景色」 | カンヴァス・油彩 | 60×73 | . |
1911年 | 「自画像」 | カンヴァス・油彩 | 72.7×60.7 | 東京国立近代美術館蔵 |
1913年 | 「黄金の首飾り」 | カンヴァス・油彩 | 47.4×45.3 | 東京国立近代美術館蔵 |
1913年 | 「ナルシス」 | カンヴァス・油彩 | 75×59.5 | 東京国立近代美術館蔵 |
1917年 | 「熱海風景」 | カンヴァス・油彩 | 37.1×44.8 | 東京国立近代美術館蔵 |
1918年 | 「坐裸婦」 | カンヴァス・油彩 | 53.3×45.4 | 東京国立近代美術館蔵 |
1920年 | 「カンヌ」 | カンヴァス・油彩 | 46.5×55.5 | 東京国立近代美術館蔵 |
1921年 | 「ノートルダム寺院」 | カンヴァス・油彩 | 55×45.5 | 清春白樺美術館蔵 |
1930年 | 「裸婦鏡」 | カンヴァス・油彩 | 82.5×57 | メナード美術館蔵 |
1935年 | 「櫻島(青)」 | カンヴァス・油彩 | 65.5×80.5 | 東京国立近代美術館蔵 |
1937年 | 「竹窓裸婦」 | カンヴァス・油彩 | 90×71.8 | 大原美術館蔵 |
1938年 | 「裸婦扇」 | カンヴァス・油彩 | 81×61 | 大原美術館蔵 |
1939年 | 「雲中天壇」 | カンヴァス・油彩・岩絵具 | 79.2×64.4 | 京都国立近代美術館蔵 |
1940年 | 「薔薇図)」 | 間似合紙・油彩・岩絵具 | 65.4×39.5 | 東京国立近代美術館 |
1940年 | 「紫禁城」 | 間似合紙・油彩・岩絵具 | 115×89 | 永青文庫蔵 |
1942年 | 「北京秋天」 | 間似合紙・油彩・岩絵具 | 88.5×72.5 | 東京国立近代美術館蔵 |
1942年 | 「楊貴妃」 | 間似合紙・コンテ | 65×44.5 | 清春白樺美術館蔵 |
1942年 | 「大観像」 | カンヴァス・油彩 | 25×18 | 永青文庫蔵 |
1942年 | 「朝陽」 | 間似合紙・油彩・岩絵具 | 116.2×91 | 大原美術館蔵 |
1953年 | 「噴煙」 | 間似合紙・デトランプ・金 | 118.7×92 | 東京国立近代美術館蔵 |
1962年 | 「カンヌ」 | カンヴァス・油彩・デトランプ | 110×82.5 | 東京国立近代美術館蔵 |
1966年 | 「カンヌ・月と雲」 | カンヴァス・油彩・プラチナ | 56.4×41.9 | 東京国立近代美術館蔵 |
1975年 | 「牡図(李朝壷)」 | 間似合紙・油彩 | 69.7×60 | 東京国立近代美術館蔵 |
1980年 | 「皇居」 | カンヴァス・油彩 | 100×80 | 千葉県立近代美術館蔵 |