国画会が運営する日本最大級の公募展。

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 第85回国展 

記念号 

April,2011 

今、『熟慮』ということについて一国展第85回記念国展によせてー

会員/前国画会事務局長 岡 部 和 彦

okabe国画会が85回展を迎えました。 1925年が創立ですから私達にとっては、曽祖父に当たる年齢の人々により組織されたわけです。

1929年(世界恐慌始まる)1937年(日中戦争始まる・廬溝橋事件)1941年(太平洋戦争始まる) 1945年(第2次世界大戦終わる・ポツダム宣言受諾)の激動の時代を過ぎ、その後の国情は65年間経済状況にのみ対応して来たと言っていいでしょう。しかし、国画会は創立以来、ほとんど枝分かれ無しに活動して来ました。このことは、他の公募美術団体と一線を画す特徴と考えられます。日々の生活に関係あるや無しやにかかわらず、美術家の野放図な世界に、団体での活動が85年の一貫した継続をなし得たのは、如何なる秘薬があったのかと、最近の低迷する公募展にあって、国展の熱烈たる力を感じる者にとって、知りたいことの一つでありました。  2008年、国展のイベントであるトークインの実施後、このイベントにご参加頂いただく方に、一言問いかけさせて頂きました。『今、公募団体の現状をどのように認識していますか』と。比喩的なお話でしたが、最近の各団体の組織運営を分析してみると、例えて表現すれば、゛トランプのカードで組み立てたブリッジ。のようであり、一枚のカードが倒れると脆くも全体が崩壊するであろうと、……安易な改革を一見正義の仮面をかぶって推し進めた結果が、どのようであったか明白であると、掌握されておられるようでした。  国画会の運営は、会員による選挙によって選ばれた、会務委員による合議制を取っています。この体制を、一般的な民主主義の数の決着、現今の国会のような党派、派閥のような対立ととらえることは、大変俗物的な妄想です。なぜなら、会員個々が自立した美術家であり、更に、会員であろうとも自分の作品の良し悪しを隠すことが出来ない。こうした会員による合議制に立脚しているのです。更に、国展は5部門(絵画・版画・彫刻・工芸・写真)を擁し、言わば、多くの競合団体が共存するわけで、何をしなくてもコラボレーションなのです。  飛行機設計の第一人者の、ある博士が若手設計者達30名に観察の重要性を敦えるための演習に、石膏デッサンをさせたところ、ヴィーナスをブルドッグのように描くものが少なくなかったと、創造に最も大切な、『物を全休として正しく観る能力』、『均衡と調和の感覚』が欠けてしまっていると嘆いています。こうした能力と感覚は創造の基本理念に係わるものです。目の前の安易な情報に騙されてはいけない。  平等であっても、対等ではない。あえていえば『同じ醜き仲間』づくりに執着する情けなさを敏感にとらえ、それを民主主義、正義と言わなかったことが継続をなし得た秘薬だったのかと思います。目の前の安易な情報に基づく安易な改革に対しては、゛熟慮。の目を重ねなければならない。 (長野市在住)

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