ブルタン/版画部会報 p1 | 国展

国画会が運営する日本最大級の公募展。

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第90回国展 記念号 April,2016 

国画会(版画部)90年の歴史

「版画芸術」編集主幹 松山 龍雄

matsuyama2016年は「国展」の第90回、すなわち国画会創立90年の記念すべき年にあたるという。「版画部創立」は、少し遅れて86年、すなわち1931(昭和6)年だった。
その最初の会員が平塚運一で、以後、国画会版両部は平塚を中心として運営されていく。奇しくも同じ年に「日本版画協会」が設立され、その実質的な運営は恩地孝四郎が担当した。つまり、国画会の平塚、版画協会の恩地を両軸として昭和初期の版画界は展開していくのである。
 しかし、それにしても90年という歴史は長く、重みがある。それは日本の近代版画である「創作版画」の実質的な活動をほぼカバーしているからでもある。
平塚の元からは下潭木鉢郎、前田政雄、棟方志功、畦地梅太郎が出て、続いて神戸の川西英、宇都宮の川上澄生らが国画会に加わる。さらに日本版画協会の会員でもあった平塚は、昭和11年に恩地にも参加を呼びかけ、その結果、恩地の元にいた関野準一郎、山口源らも加わるのである。
 つまり、国展、版画協会展が、当時では個展なぞむべくもない版画家たちの数少ない発表の場であり、多くの版画家たちは掛け持ちで両展に出品していたのである。
 ところが、国画会版画部ひいては日本の版画というものが真の隆盛を見るのは、敗戦後のGHQ占領時代からであった。
 当初、日本の美術の中でも浮世絵版画に興味を持ったGHQの日本通らが、すでに浮世絵の良品などほとんど残っていないという状況で、新たに見出しだのが創作版画であった。
ハートネット、スタットラー、ミッチェナーといった人たちが平塚や恩地をはじめとする版画家を訪ね、彼らの手にあった作品を根こそぎ買っていったという。戦前にはもちろん彼らの版がなかった。平塚さんはこれでようやく食べていけると思い、恩地は数枚しかない版画がなくなってしまいそうなので、しまいには不機嫌になったという。
   さらに、1950年代から60年代にかけて世界各地で開催され  るようになった国際版画展(国際美術展)で、日本の版画家が  次々と大きな賞を受賞していくのである。棟方志功、斎藤清、山口源といった作家たちである。
    そして、1970年代からいよいよ「現代版画」がスタートすることになる。国画会ではそれまで木版画が中心だったが、70年代後半からはシルクスクリーンや銅版画の作家の参加が目立ってくる。
 現会員のサイトウ良や星野美智子などに話を開くと、当時熱心に勧誘に当たったのが品川工だったという。恩地門下でも木版画以外にいち早く写真などのメディア表現を取り込んだ作品やスプーンやフォークを使った金属オブジェを制作していた先駆的な作家だけに、なるほどと思い、同時に国画会版面部に対するその熱意に感心した。 
おそらく現在の会員・会友のほとんどが10年以上の出品者だと思うが、この結束の堅さと版画に対する熱意が国画会版両部を支えていることは間違いないだろう。さらにこの熱意が「日本の現代版画」全体を支える力となってくれることを願っている。

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