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ダンディで冤辣(カクシャク)とした品川工先生の思い出
会員: サイトウ 良
一昨年五月、享年101歳、日本最高齢の版画家であり造形作家でもあった先生は、静かな眠りの中で去って逝かれた。
一昨年、4月開催された国展にも「犇(ヒシ)めく」というシルクの作品を出品、健在で、すごいなあと感心していた矢先である。
ところが、ご子息の関野夏樹さんが国展の会場にこられ、ここのところ好きなアイスクリームも遠慮がち、亦一日2杯ちかく飲んでいたお茶も控えめなので心配ですと言っておられた。先生は体調には、とても気を造われていた。
晩年と言っても85歳を過ぎられたころから調子が少しでも悪いと毎週月曜、東京銀座の画廊廻りは休まれることが多く、三ケ月、半年、一年と足を止められた。そして元気になられるとダンディで冤辣とした姿勢で笑顔をみせ銀座を闊歩された。とても姿勢が良いので、意識し、ピンとしておられるのですかと尋ねると「子供の頃、姉に箒(ほうき)で背中をビシャリ……」とそれから常に意識はしているそうで……。 95歳の頃でもお元気で我々に活力を与えてもらった。
2008年2月「生誕100年記念展」が練馬区立美術館で開催された。 40日間毎日会場に通われたそうで驚きである。
ところで僕との出会いは30年前、先生は70歳、古希を迎えられたころ銀座で三人展を見て、会いたいと言われての対面でした。有名な先生でしたので緊張して会話をした。
そして国画会にさそっていただく。 1980年後半バブル全盛期の頃版画ブームでもあった。先生は国画会版画部の成りゆきが心配で銀座へ出ては版面部ヘスカウト。現在国画会の版面部で活躍している星野美智子、増田陽一、岡部和彦、園城寺建治、白鳥勲氏他版画部をささえている。
さて先生の制作姿勢は、作品を売るということには全然興味はなく「芸術作品作り」一筋。「ネガとポジ」「反転する」とどう表現出来るかとか、あるいは恩地孝四郎に師事しておられたことからモホリ=ナギのバウハウスの原書を手に入れ造形の世界へ…。そして紙の造形、金属の造形、モビール作品、更に勣く造形にも興味をもたれる。たとえば大型フォークにスプーンをバランスをとり、ハンダ付けをし、人物を連想するもの等々。
ひたすら版画にしてもオブジェにしても試作、試作、100歳になっても純粋な作品作りに没頭された。常に前向きで、お洒落で、背筋をピンと、冤辣とした先生に会えないのは残念至極…。(合掌)
メディア時代に版画を想う
会員:赤 星 啓 介
『メディア時代に…』とのテーマを頂いてみて、そういえば自分は、広くメディアとの関連で版画を考えた事が余り無かった事に気付きました。若い頃から作品とその時代性、現代性については時間をかけて考えてきました。その結論は、作品の現代性は現代に生きる白身の作品についてくるもので、特に新しさや時代性を追う事はなく、自分はただ作品に向き合って誠実に創ればいい、という所で納得はしたのですが…。
しかし、メディアは現代性などという抽象的なものと違う具体的に作家を取り巻くものです。画家の多くが作品とのみ向き合っている内に情況は大きく変わった様です。メディアといえばテレビとそれ以上にインターネットが主流となり、現実としてそこに乗っているアートはアニメーションやマンガが大勢を占めています。大学で教鞭をとっている先輩方の話でも美術大学に入る学生の多くが、それらの制作を目指していて、例えば版画の生徒が駒井哲郎などの名前も作品も知らないので、先ず芸術・版画に対する興味の目を見関かせる所から始めなければいけない事が多々ある、との事である。
この様に版画、ひいては芸術に対する認知度が、特に若年層にとって、下がっている中で、メディアや社会と関っていく為には、作品から何らかの働きかけや強い個性と作品力を持った作家の登場が望まれます。85回国展のポスターのコピーを模すならば、「龍三郎がいて、志功がいた」ならず、『我らが目指せ!平成の龍三郎よ、志功よ』と言うべきでしょうか。 (千葉県習志野市在住)