2012.4.09 更新

会員インタビュー



北海道〜沖縄までの会員・準会員のインタビューとご紹介

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第10回 北陸



「北陸国展のはじまりと今」

 雪模様の平成24年2月10日、石川県立美術館第7,8,9室で「第18回北陸国展」が開幕し、絵画部26名、写真部24名の出品者がそれぞれ新作や北陸での未発表作を発表しました。

 ここで言う"北陸"とは石川、富山、福井、新潟を指し、さらに北陸ゆかりの関西のメンバー(堤、大森、長谷川(宏)会員、麻田準会員)に参加してもらっています。旗揚げ当初は、ゆかりの中部(山村、増田会員、小川、森田準会員)からの賛助出品もありました。この"ゆかり"という意味は、金沢美術工芸大学関係者を示します。この美術の専門大学が金沢市に存在することが、戦後これまで日本海側の美術文化にとって大きな意味を持ってきました。

 教育研究組織である美術大学自体が画壇に便宜を図ったり、効率的な制作の方法論を社会に提供することはありません。そこに創造意欲に満ちた共通の目的を持った若者が集まり、専門知識や練磨した技術が次第に後輩に伝えられて行き、卒業後にも生き生きとした人のネットワークが作られることが"拠点"としての大学の存在意義のひとつでしょう。  金沢美術工芸大学の非常勤講師、大学院専任教授として40年に亘り学生を指導され、絵画造形と人間存在との関係性を、透徹した視点で後進に伝えてこられた人こそ絵画部会員柏健先生そのひとであったと思います。私が28歳でフランス留学から帰国し、国展に出品を始めてから約10年後の1993年、柏先生の助言もあり、開光市さんと私が世話人となり、絵画部だけの15名(北陸およびゆかりの出品者)で「第1回北陸国画グループ展」を石川県立美術館で12月に開催したのが北陸での国画会の発表の始まりです。翌4月の本展出品を踏まえて研究会的な要素を持ったグループ展として発足したのでした。

 やがて新潟県からも本展出品者を入れて、7回目からは写真部と共同して開催することになりました。絵画部はこれまで幸いにも毎回のように本展での受賞者等(ヒラキ、長谷川(輝)、川原、横江、北本、本田、高木、清水各準会員等)を輩出してきました。メンバーは常時25名ぐらいですが、その入れ替わりも激しく、常に活性した組織であることを実感しています。初回から参加し今回まで18回不休で出品を継続しているのはわずか5名(安達博文、本田正史、長谷川宏美、堤建二、前田昌彦)です。こういう出品者の入れ替わりは本展でも同様のことが言えると思います。組織は不変ではありません。

 3年前に柏先生が金沢を離れられてからは、私が代表を務めていますが、私の職場が美大で、拠点になり得るからというところかと思っています。実際、有望な学生を発掘したら出品するように勧めてもいます。公募展は根っこが枯れたら組織としては持続しません。多くの団体の悩みどころです。

 近頃は安達会員の居る富山大学からも有望な若手が出品してくれているので、金沢美大との双方にとって大いに刺激になっています。本展とは一味違った様式の作品もあり、鑑賞者の興味を惹いています。近年、内規を改正し、本展入選者でなくとも「本展に出品意欲があり、複数の会員が出品を認めた者」の参加を認めることにしたため、学生など新人の出品者を確保できています。こういう方向性は地方の"国展"の使命の一つと考えています。

 継続とマンネリズムは表裏一体と言えるかもしれません。改革のない継承をマンネリズムと言い、不断に状況を検証し持続的な努力を怠らないことを良き継続と呼びたいと思います。良き継続が出来なければ閉会とするという覚悟でこれまでも続けてきましたが、長い冬の開ける春の国展に向けて、今年も北陸の出品者は創作意欲に満ちています。

国画会 絵画部会員 前田昌彦



金沢美大大学院を修了して公立中学校の教員となった。生活が激変した。運動部の顧問となり、土日も部活動である。練習試合、県外遠征と月に1日休みがとれるかどうかである。学校の業務も家に持ち帰って夜やらないと間に合わない。好きな美術を子供たちに教え、じっくりと絵の制作をしていこうという甘い考えは吹っ飛んだ。絵を描く時間がない。

国展への初出品は、まさに中学校教員としてスタートしたその年の4月である。作品は大学院2年の後半に練りこみテンペラで白亜地の自家製キャンバスに描いたF130号である。第64回国展におかげさまで初入選することができた。しかし、これからである。とにかく忙しい。このままでは忙しさを理由に、筆を折ることになる。いやそうはさせない。夜中に制作すればいい。やめるのは簡単、続けるのは難しいが、あとは根性しかない。泣きながら描けばいい。小学4年生の時に美大に行きたいと抱いた夢を一生大切にしたい。

表現には答えがない。だから悩む。だからもどかしい。自分には才能がないのではと落ち込む。表現とは一生悩むべきものではあるが、特に若いころは悩む。自分の可能性もわからない。自分は悩んだときにはいろんな画集をむさぼるように見た。そうすると、やりたいことが山のようにみつかる。好きな画家はもちろんのこと、いろんなタイプの画家の作品を見ると、逆に自分の大切にしたい表現が見えてくる。ある程度描き続けてくると、次は周りの声なんかどうでもよくなるほど、自分が描きたいことを描こうといい意味で開き直れた。

今回、第86回を迎える。その間、休むことなく国展に出品し続けた。初入選からあっという間であった。忙しい中でも国展に出そうという思いが、知らないうちに1年間の制作のリズムとして体に定着してきた。国展を通じて多くの先輩方や仲間と出会えた。制作の楽しさや頑張る勇気をもらった。こうして描き続けられているのも国展のおかげである。これからも産みの苦しみを楽しんでいきたい。
国画会 絵画部会員 本田 正史


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