国画会が運営する日本最大級の公募展。

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仕事場から(1)

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幻の街 16.5×24.5cm  会員 津田恵子

「今日も、上手くいかなかったな・・・」と工房の帰り道。日もとっぷり暮れ、一日を無駄にしてしまったような徒労感と自己嫌悪だけが渦巻く。限られた時間の中での制作なので、どんどん進めていきたいところだが思うような効果が出てくれない。
 長年、制作を続けていると自分の作品への要求もだんだん厳しくなってくる。現状維持では満足できない。さらに自分が望むような作品を制作していくには、版画の魅力である偶然性を生かしつつも綿密な計算や予測が重要な鍵になってくるのだろう。それには、まだまだ実験を繰り返しながらの制作である。版のもつ可能性をいろいろと模索し経験を重ねることで独自の技法も自然と確立でき作品も雄弁に語りだすのだろうか。
 自分の感性にどこまで近づけていけるか・・・その思いが強すぎて絵が破綻することもある。こだわりすぎて絵が仕上がらないこともある。そんな遠回りしながらの制作の日々であるが、いつの日か、目の前の霧がすっきりと晴れ、新しい景色が出現してくれることを信じ、また版と向き合う。 (東京都町田市在住)

 

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花の記憶2014-B 58×79cm 会員 平垣内清

仙台という地にたどり着いて既に16年が経過しようとしています。 「たどり着いて」と書いたのでは、何となく絵を描く仕事に就きたいとぼんやり考えていた高校生の頃、広島生まれ広島育ちの私かまさか宮城県という東北の都市で暮らそうとは想像もしていなかったからです。まさかの出来事です。

 50という区切りの歳を迎え様々な出来事を振り返りながら、ここからもうひと踏ん張りがんばらなければと自問するのですが、あまりにも沢山の課題があり押し潰れそうになる毎日です。
 仙台は「杜の都」と呼ばれる豊かな自然に囲まれたすばらしい街で、移り行く四季の美しさは格別であり、反面で震災という自然の驚異を経験した街でもあります。作品を生み出す時そんな自然に寄り添いながら私に出来る事は?その自然は何を伝えたいのか?と耳を傾けながら考えます。
 人それぞれ制作に対する思いがあり諸先輩方のすばらしい功績を前にすると圧倒される思いがします。結局、私にできる事は自然体で作品に向き合うことだと思い至ったこの頃です。         (宮城県仙台市在住)

 

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  森の記憶ーKiri 14-1(30×11.5cm) 

   会員 土屋敦資

 銅版画を学び始めた頃は線の疎密による調子や、アクアチント技法の調子の美しさに魅了され夢中で制作した。様々な技法を試し、秒単位の腐食時間差で出来上がるミクロン単位の腐食の溝を造り上げるため、時計とにらめっこだった。腐食作業は毎回データを取ってはいたものの、溝の深さは気温や腐食液の

濃度や質にも関係し、当初の計画を狂わせる。これら作業はいつもドキドキ。そして、試し刷りの後、一喜一憂…。
 こんな、仕事を続けて約12年。しかし、この頃間接的で繊細な作業に少々苛立たしさを持ち始めていた。そんな時にカラマツの落葉に出会った。雨上がりの森の空気は湿り、独特の匂いが立ちこめ、足下のカラマツの落葉からは水が染み出ていた。「肌で感じる森の様子を作品にしたい」、そんな思いでその場にあったカラマツを自宅に持ち帰った。そして、試行錯誤の後カラマツの落葉の紙に雁皮刷りを行う独自の技法をあみ出した。
 この支持体に刷ることのできる銅版は通常の製販では出来上がらない。それまで、何分何秒、何ミクロンと計算してきた作業は全く意味のない物となり、苛立たしさは一気に吹き飛んだ。荒々しい支持体に刷り取ることのできる版の線は太く、深い溝のみ。繊細な溝は一切刷り取らない。
そして、刷り取られた線はインクが溶みはみ出て、これでもかと言わんばかりに主張する。何と潔いことか。そして、落葉のテクスチャーが見え隠れする画面からは森の匂いや湿り気が醸し出された。間接的である銅版画制作が意識の上で少し直接的に傾いた気がした。       (愛知県名古屋市在住)

 

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