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随想ノ私の中の銅版画
会員 山下進一郎
1981年の冬、版画工房で初めて触れた銅板は冷たくて重く、拒絶感のようなものを感じたものです。その後は半年間毎日のように工房で制作していたのですが、大人の事情から会社動めと創作活動の二股生活を始めて30年を超えました。当時、好んでみていたのは海外作家のモノトーンに近い版画や絵画、鉛筆画などでした。水墨画にも関心がありました。構成要素の少なさ、手法が限定的であるにもかかわらず、心遊ぶ空間が無限のように広い。そのように受け取っていた私は、自然と白黒の表現になっていきました。
The STREAMS ’10-1 90×110cm
私にとって「線」を探す作業はとても重要な時間です。下書きの線を幾度も引き直します。欲しいと思う線が引けるまで。ある時に自然の中に直線は存在しないのではないかと思ってから、曲線だけで構成するようになってきました。
表現にはアクワチントとディープエッチングによる製版が向いているようです。松脂は細かな粉状のものから塩粒状のものまで、その時々に乳鉢で松脂の塊を砕いてつくります。加熱段階では強い火で松脂の粒を溶かして粒同士をつけてしまうこともあります。火で焙る時間も場所も腐食に表れるので細かなやり取りが後々に影響してきます。反対に腐食段階で希釈したグランドが不規則に浮き上がることを利用した製版をすることもあります。コントロールする線描、グラデーション、偶然が生むインク溜まりの陰影が版の上でいいコンビネーションを生んでくれるといいのですが。まだ模索は続くという気がします。作品から目を離さず、考えることを制作の中でこれからも続けたいと思っています。最後に創作への意欲と試行錯誤の機会を与えてくださる全てのことに感謝しています。 (兵庫県西宮市在住)
90回記念国展によせて
版画部事務所 白鳥勲
母体である国画創作協会の解散(1928年)に伴い洋画部門が「国画会」として独立、日本の美術団体としては初めて国画会の中に版画室が設けられた事は美術団体史における画期的な事である。梅原龍三郎の信頼厚く、この年より平塚運一が前田政雄とともに事務局を委任され、国画会事務局の礎を作った。平塚は精力的に版画の啓蒙に勤め、終戦時の部員は川西英・平塚運一・棟方志功・下洋本鉢郎・忌地孝四郎・栗山茂・畦地梅太郎・前田政雄・上野誠・橋本興家・関野準一郎・斎藤清・山口源・笹島喜平・品川工他であった。
「国画会の版画」と言われ我国を代表する木版作家主体の本版画の牙城を築くも、戦後の美術界にも大きなうねりが生まれ、銅版、石版等を試みる作家が現れ川上澄生・稲垣知雄・伊藤勉黄・星襄一・岩見礼花・天野邦弘・熊谷吾郎・金守世上夫・川西祐三郎・佐藤宏・鈴木幹二・日下賢二・黒崎彰・平山美智子・高橋信一他多くの作家が誕生し現在の版画部の礎となった。
国展本展の作品を見る機会の少ない地方の方々に本展のままの作品を見ていただこうと、92盛岡展・01信州上田展・03札幌展・06沖縄展・12小諸高原美術館展も関催し版画愛好者に大好評をいただいた。
平塚運一の遺した一文
「啄木鳥にあやかって‥‥‥‥‘コツコヅと木を突っついて‥‥ノミの音……」
国画会版画部の作家は、大地にしっかりと足を付け「コツコツ」と謙虚に制作に励んでいる作家が多く、現代的あらゆる技法も共存し、発表の場も国内にとどまらず広く世界にも求め、国際展やコンクール展などで受賞・人選・収蔵される作家も多い。近年は新人に広く門戸を開き、育成に勤めている。
先達より受け継いだ版画部は、心新たにあらゆる拘束から解放され、真の創作の自由・表現の自由の国画会の理念に基づき創造の道を突き進みます。
90回記念国展を迎えるにあたり、先輩諸氏のご苦労、内外の愛好者また関係者の多大なるご理解とご支援に深く感謝申し上げます。(東京都新宿区在住)
Bulletin HANGA第90回国展記念号2016年4月発行●国画会版画部
編集長/青木繊夫 委 員/世古剛・増田昌己
国画会版両部事務所●TEL&FAX : 03-3952-1320
〒161-0033東京都新宿区下落合3-1 1 -21 白鳥勲方 < 投稿一覧名簿へ |